江藤農相「売るほどある」発言は宮崎弁?本当に使われているのか徹底検証

2025年5月、江藤拓農林水産大臣の「コメをもらいすぎて“売るほどある”」という発言が物議を醸しました。特にその後の釈明で「“売るほどある”は宮崎弁的な言い方」と説明したことで、全国から「それって本当に宮崎弁なの?」という声が相次いでいます。

本当に宮崎では“売るほどある”という表現を日常的に使うのでしょうか?あるいは、一般的な比喩表現を“方言”としたことで混乱を生んでしまったのでしょうか。この記事では、江藤農相の発言の経緯と、宮崎県民の言語感覚、報道やSNS上の反応をもとに、その真相を探っていきます。


目次

江藤農相の発言と釈明の経緯

5月18日、自民党の政経セミナーで江藤農相が「私はコメを買ったことがない。いただきものが“売るほどある”」と発言。農政のトップとしての立場を考えると軽率な印象を与えかねない発言であったため、批判が殺到しました。

そして、5月20日に行われた参議院農林水産委員会で、江藤大臣は釈明。「“売るほどある”は宮崎県ではごく普通に使う表現であり、比喩的な意味だった」と説明しました。つまり、これは宮崎弁的な言い方であり、誇張表現の一つだったと主張したのです。

この釈明により、発言の意図は「お金に困っていないという自慢」ではなく「地元の言い回しだった」とされましたが、世間の受け止め方は一様ではありませんでした。


「売るほどある」は本当に宮崎弁?

「売るほどある」という表現は、たとえば「リンゴが売るほどある」「服が売るほどある」など、全国的に“物が大量にある”ことを比喩的に表現する言い回しとして広く使われています。

宮崎県内でも確かに使われることはありますが、宮崎特有の方言というよりも“全国共通の比喩表現”に近いものであり、「宮崎弁です」と言い切ってしまうのは少し乱暴な印象も受けます。

言語学者や方言研究者の見解によれば、「売るほどある」は方言の枠には入らず、「文脈で通じる誇張表現の一種」とされています。また、宮崎県民の中でも「そんな言い方、地元でもあまり聞かない」「普通に全国で使ってる」といった声が多く上がっています。


SNSや宮崎県民の反応

江藤大臣の釈明以降、SNSでは「“売るほどある”が宮崎弁って本当?」という疑問がトレンドに。X(旧Twitter)では、「それ方言じゃないよね?」「私、宮崎出身だけど聞いたことない」といった投稿が数多く見られました。

一方で、「たしかに年配の人が使っていた気がする」「うちの親は言ってたよ」という声も一部あり、完全に使われていないわけではないようです。ただし、使用頻度や“宮崎らしさ”を象徴するほどの方言とは言いにくいのが実態です。

このように、県民の間でも賛否が分かれつつ、今回の“方言釈明”が少なからず違和感をもって受け止められているのが現状です。


発言の影響と今後の課題

農水相という立場からすれば、「コメが売るほどある」と公言することは、農家の実情や物価上昇などに配慮していない印象を与えてしまいます。さらに、「方言だから」という理由で発言の責任を緩和しようとした点にも批判が集まりました。

政治家が地域の言葉を使って親しみを出すのは一つの戦略ですが、それが誤認を生むような使い方になると、かえって逆効果になる場合があります。今回の件では、方言の誤用によって「本当に地元を理解しているのか?」「軽く見ていないか?」という懸念も生まれています。

このような背景から、政治家の言葉遣いには今後より一層の慎重さが求められます。


まとめ:言葉の使い方がもたらす影響

今回の「売るほどあるは宮崎弁」発言は、ほんの一言であっても、大きな波紋を呼ぶことを物語っています。たしかに宮崎でもそのような表現を聞いたことがある人はいるかもしれませんが、それを“方言”として公的な場で正当化することには無理があったように思えます。

政治家が地域に根ざした表現を使うことは悪いことではありません。しかし、その表現が正確かつ丁寧であること、そして他者を誤解させないものであることが求められます。

言葉一つの重みが問われる今だからこそ、今回の騒動は「説明責任」と「言葉の慎重な使い方」の重要性を私たちに改めて突きつけていると言えるでしょう。

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